日本で骨髄バンクが運営され始めたのは1991年のことである。
著者は1982年生まれであるから、9歳のときであり、小学校4年生であった。
子供の頃、白血病を題材としたドラマや漫画を観た記憶が今でも残っている。
当初は、骨髄バンクもできたことで、白血病を題材にすることが流行っていたのだろうか?
よく分からないが、とにかく、著者は子供の頃から「大人になったら骨髄バンクに登録するんだ」と強く心に誓っていたのであった。
前フリが長くなったが、著者は41歳にてやっと骨髄バンクへの登録を果たしたのでここに報告する次第である。
おいおいおい。
どういうことだよ。
骨髄バンクの運営が始まったのが著者が9歳のときで、
子供の頃に骨髄バンクに登録すると心に誓っていたのなら、
とっくの昔に登録していないとおかしいだろうという話である。
骨髄バンクの登録条件は18歳以上だ。
著者は23年間も何をしていたのか。
その間に救えた患者さんがいたのではないか。
そのあたり、どう落とし前をつけてくれるのか。
全くその通りである。
私は一体何をやっていたのだろう。
見て見ぬふりをしてきた書類の山を片付けるように、遠い昔の記憶を辿ってみる。
18歳といえば、あぁ、そうだ。
大学に落ちて、浪人が決定した頃である。
あぁ、そうか、それで骨髄バンクに登録できなかったんだな。
いや、それは仕方ないのではないか。
もっぱら勉強で忙しくて骨髄バンク登録方法を調べる気になれなかったのである。
では、その後はどうか。
1年後には、めでたく(?)大学に入学できたわけだが?
ここで、一気に、自分の人生を1分間の動画に編集するように高速で思い出してみる。
貧乏大学生活に翻弄されてみたり、
研究結果の出ない院生生活に病みそうになってみたり、
就職氷河期のあおりを多いに受けてお祈りメールに埋もれてみたり、
就職したはいいが、残業の多さとボーナスの少なさに驚愕したり、
そこに追い打ちをかけるような奨学金返済と学生納付特例制度で猶予された年金の返納のダブルパンチにビビってみたり、
たった5年でサラリーマン生活に嫌気が指してみたり、
反動でメイクの専門学校に通ってみたり、
ついでに出産してみたり、
ちょっくら産後うつっぽくなってみたり、
産後の社会復帰に苦労したりしたんだったな。
あぁ~、それで骨髄バンクにドナー登録できなかったのか~。
って、おい!できただろっ。
骨髄バンクのドナー登録くらい。
しかし、過去のことを言っても仕方あるまい。
去年のことである。
私は仕事に出かけるべく電車に乗り、そこで一枚の広告に目が釘付けになった。
泣いたよね。
お兄ちゃんの服を握る弟の右手にさ。
この広告、一度ハマると、どこどう観ても泣ける。
散らかったままのランドセルや帽子。
壁に貼ってあるお母さんとの約束事。
幼い兄弟2人だけで過ごしている夕方の雰囲気がさ、もう、駄目だよね。
是枝裕和監督の映画かっ!っていうね。
お母さんの退院を待つ子供の気持ちを想像したあとは、子供を待たせて入院しているお母さんの気持ちも想像してみたりね。
そこでやめておいたらいいのに、
「これ、お母さんと子供の立場が逆だったらどうよ?」っていうのも想像して、「あかん、それも泣ける。」って。
電車内で広告見ながら延々と泣いてる変な中年女が居ましたとさ。
散々、胸が苦しくなった後、
先に記した「私は今までなぜドナー登録をしていないのか」という自問自答をし、
「さっさとやれ」「今すぐやれ」となったわけである。
ここに手順というほどでもないが、先に添付した広告を見て、私もやろうと思った人がすぐに行動できるようにステップを記載しておく。
- 「骨髄バンク」をネット検索して日本骨髄バンクJMDPのサイトを見る
- 「ドナー登録をお考えの方へ」のページにジャンプして、登録できる条件を確認
- サイトからパンフレット「チャンス」を熟読
- 近所にある登録窓口に行く
窓口にさえ辿り着けば、あとは、そこのスタッフさんの案内に従うだけである。
ここまでくればもうミスすることはない。
一安心である。
ちなみに著者にとって一番アクセスしやすかった窓口では献血も行っていた。
献血も、やろうやろうと思いながらもできていない案件なので、ついでにすればよかったのだが、タイミング悪く予防接種を受けた翌日であったためできなかった。
別日に行くよ。
というわけで、著者が人生の中で最も心を打たれた広告によって、23年遅れではあるが、幼き日に誓った骨髄バンクドナー登録を完遂できた。
ほんと、もっと早くすればよかったね。
ごめん。