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川久保玲氏コロナ禍でのインタビューに思うこと

Photo by Raden Prasetya on Unsplash

珍しくファッション雑誌の記事をじっくり読んでしまった。VOGUEのオンラインサイトにコムデギャルソンの川久保玲氏のインタビューが掲載されたからだ。

私は、川久保玲氏のような理想のあるクリエイターを心から尊敬しているし、このインタビューにも好感を持った。
インタビュアーの前文にあるように、このコロナウィルスによって人々が沈み込んでいる中、川久保氏はいつもどおり仕事をして例年通りショーを実施したという情報に妙にホッとした。
自信満々に独自の意見を振りかざす訳でもなく、今の社会を痛烈に批判するわけでもない。
自身の仕事のやり方に「これで合っているのか」と悩みながらも、これまでどおり自分のやりたいことをやれるところまでやるという、彼女の姿勢に感銘を受けた。

しかしながら記事を読んで、一番に思ったのは、たとえ洋服で自己表現をしたいと思っても先立つもの=金がなければ不可能なのだということだ。
資金に余裕がない私は、服を含めた日用品を可能な限り切り詰めて、優先するべき他の自己表現に全振りしている。装いで自己表現したくなくなったというより、お金がない状況で、ファッションへの興味を失わざるを得なかったという方がしっくりくる。
例えば、食費や家賃も危うい人にとって、洋服による自己表現など考えられないだろう。
恵まれたことに、私はそこまで苦しい生活をしているわけではないが、多少の着づらさがあるアッパーな装いに資金を費やし生活に困窮するよりも、快適な普通の服を着て、穏やかに暮らす方がスマートだと考える。

もしも、そんな次元の低い話をしているのではないと返されるなら、このファッションに依る自己表現の議論において、そもそも貧乏人は対象外なのか?ファッションは裕福な人にのみが享受できる愉しみなのか?作り手たちはそれを良しとしているのかと詰問してしまうだろう。

インタビュアーが「日本ではまだまだ女性の地位が・・・」と言いかけたのに対して川久保氏は以下のように言う。

K:低いのですね。私は自分であまり周りをそう感じないものですから、そういったデータを見ると「こんなにも(女性の地位が他国に比べて)下なのか」と今さら驚きます。社会では女性が大事にされているムードもありますし、不自由も昔に比べたら少ないように感じていました・・・

同記事より

おそらくコムデギャルソンでは、女性社員も多く、彼女たちの給料も安くはないのだろう。今よりもずっと女性が虐げられていた時代を知る川久保氏にとってみれば、川久保氏の周囲ではかなり女性が生きやすくなった雰囲気を感じるのだろう。それは素晴らしいことなのだが、残念ながら、その状況はほんの一握りの優良企業で働くことができた運の良い女性たちしか得られていない。
コムデギャルソンを着れるのは、コムデギャルソンの社員だけという、そんな状況なのだ。

川久保氏の仕事も、コムデギャルソンの服も素晴らしい。それは間違いない。だが、その素晴らしい服は、2021年の現在、私には届いてはいない。そして、多くの一般女性にも届いていないだろう。
川久保氏はそれを感じて、このようなインタビューに応じたのだろうか。

「Olive」や「装苑」をみて育った私にとって、コムデギャルソンは憧れの存在だ。このインタビューを読んで改めてそれを確認したが、川久保氏の存在に勇気づけられる一方で、ティーンの頃に描いた理想の姿との遠さに目眩を覚える。

理想と現実の乖離を嘆いてばかりでは仕方がない。今は優しく包んでくれる「普通の洋服」を身にまとって、一日一日、目の前の仕事に真面目にとりかかるしかない。
さて、この先、死ぬまでに一度でも川久保氏の意思の詰まった洋服を身にまとうことができる日が来るのだろうか。